第八十二夜

 

トルコ人の友人がケバブの屋台を手伝えと連絡をしてきたのは昨夜のことだった。気温の急変にやられて風邪を引いた相棒の代わりに、接客だけしてくれればというので軽い気持ちで引き受けた。

朝から秋葉原、上野、浅草と回り、人出も引いた午後八時、ゆっくりと町を流しながら葛西の友人宅へ戻る途中、老夫婦に呼び止められたのだ。

疲れた営業スマイルを浮かべて「いらっしゃいませ」と客を迎える。今日はもう最後の客だろう。販売車の中から客を見下ろす恰好になる落ち着かなさには、結局慣れることがなかった。今度のお客のようなご年配の方となるとその思いは一層強まる。きっと物珍しさに声を掛けてくれたのだろう。

味付けや値段について二、三やり取りをして厨房の友人を振り返ると、パッと屋台の照明が切れ、辺りが真っ暗になった。半ばパニックになり母語でなにやら喚いている友人を落ち着かせる。

車のエンジン音は相変わらず聞こえるので、照明回りのトラブルだろう。灯りのスイッチは何処かと尋ねると、お客の老爺が鋭く張りのある声で、
「おやめなさい!」
と言う。

驚いて振り返ると、彼は恥ずかしそうに頭を掻きながら大声を上げた非礼を詫びてから、こんな事を語った。

この辺りは本所といって、江戸の頃には本所七不思議なんて怪談が流行ったもので、子供の頃から祖父や祖母からそんな話を聞かされて育った。近所の小学校にも逸話の舞台となった場所があって、今でも子供達に話を伝えているそうだ。

七不思議と言っても話は七つに定まらないのだが、その中の一つに燈無蕎麦(あかりなしそば)というのがある。

江戸の頃、本所の辺りにはよく二八蕎麦の屋台が出た。二八蕎麦というのは蕎麦粉と小麦粉との割合だとか、一杯十六文だからニハチジュウロクだとか諸説あるそうだ。その屋台の中、まれに行灯に火の点いていないものがあるという。店主が留守にしているものかと暗い屋台でいくら待っても、一向に店主は現れない。それで終われば害はないのだが、ここで暗いからと行灯に火を点けるとこれがいけない。火を点けた者は家へ帰ると必ず不幸に遭ったという。狸の仕業ともいうが、原因や由来は定かでない。
「中秋の名月ですから、狸がお店の灯をうるさがったのかもしれませんね」
と空を見上げて微笑む老婦人につられて南東の空を見上げると、円い月が薄墨を流したような雲の隙間から顔を覗かせている。
「では、今日はもう店仕舞いですし、照明の修理は少し離れたところまで行ってからにします」
と話を合わせる。
「たぬき、たぬきドコ?、たぬきニクタベル?」と興奮気味の友人をなだめ、闇に慣れてきた目で二人前のケバブを用意して老夫婦へお渡しし、代金を受け取る。

三人で夜空を見上げる中、友人は販売車から身を乗り出して辺りを見回しているが、どうやら狸は見つからないようだ。

そんな夢を見た。