第八百一夜

 
 足の極端に遅い台風がようやく去って、一週間ぶりに街まで下りて買い物をした。その帰り、大量の食料や物資を積んで山道を登る足回りは重く、木の葉どころか枝ごと折れて飛ばされてきたものが散乱する中を慎重に走っていると、ふと違和感を覚える。
 視界の先には谷を渡る小さな橋があり、その袂には交通安全のためか昔ながらの道祖神か知らないが小さな社がある。いつになく慎重に速度を緩めていたから気付いたのだろう、その社の中に立つはずの地蔵のような石像が見当たらないのだ。
 なんとは無しに気になって車を左へ寄せて停めると、途中でつまみ食いでもしようかと置いておいた稲荷寿司とお茶のペットボトルの入った袋がガサガサと音を立てる。車を下りて社を見れば、飛ばされてきた石か枝でもぶつかったのか壁に大穴が開いていて、やはり石像は見当たらない。社が倒れず石像だけが風に飛ばされるとは不思議なものだと思ったが、社はこの穴のお陰で飛ばされずに済んだものらしい。
 辺りを見ても石像は無い。直ぐ脇に谷川へ降りるための半ば獣道めいた石積の階段がある。ここから、下へ転げ落ちたのだろうか。乗りかかった舟、というのが車を下りた自分に当てはまる言葉かどうか、ともかく辺りの薮に目を光らせながら一段一段と階段を下り、それらしい石は見付けられぬまま河原に出る。
 長雨でやはり増水している。普段ならこんなに川幅が広くも流れが急でもないのだが、今日は背筋が寒くなるような音を立てて水が流れている。ただ、水の色だけは普段通り、底を見通せるほど澄んでいる。
 その中に、二つの細い目と僅かに微笑むような唇が見えた。岸から三十センチほどのところに、直径二十センチメートル、厚さ三センチメートルほどの薄い板のような石像が、川底に斜めに刺さるような格好でこちらを見詰めている。
 足を水に入れぬよう手を伸ばして掴み、ちょっと持ち上げてみる。コンクリート・ブロック数個分くらいの重さだろうか。担ぎ上げてさえしまえば橋まで階段を登るくらいは出来るだろう。腰に負担を掛けぬよう慎重にしゃがみ込み、石像を胸の前から右肩へ担ぎ上げ、立ち上がる。肩に食い込む重量以外はそう苦でもない。そのまま階段を上ってゆっくりとしゃがみ、社の前へ石像を下ろす。
「お社は壊れっちまってるから、今はそこで我慢してくんなよ」
と独り言ち、腰のタオルで濡れた服を拭いながら車に戻る。
 車を停めたついでに一休みがてら稲荷でもつまもうかと助手席を見ると、そこにあったはずの袋が無い。座席の足元にも無ければ、後部の荷物に紛れても無い。
 首を捻りながら座り直すと、フロント・ガラスの向こうに親子連れらしい三匹の狐がいて、その親らしい大きいのが袋を咥えて山の林の中へとてとてと姿を隠した。
 そんな夢を見た。

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