第六十二夜
沼の上に月が出ている。沼を渡る夜風は夏といっても爽やかで、岸の葦が吹かれてはそよと揺れ、また吹かれてはそよと揺れるその上を、月明りが波になって押し寄せている。
そんな景色を眼下に見ながら、味噌を付けた胡瓜をポキリと齧り、猪口の酒をチビリと舐める。
「じいさま、じいさま」
と、夏休みに帰省してきた孫達の声がする。皆両親が共働きで、学校のないこの時期は昼の間の面倒を見られないからと、盆休み前から預かるのが毎年の恒例だ。夕餉の片付けの手伝いが終わった暇を、慣れぬ田舎でどう過ごしてよいかわからぬのだろう。
一人がこんなことを言い出した。
「じいじ、怖いお話、聞かせて」。
胡瓜と酒の所為もあってか、怖い話と聞いてこれはまた懐かしい響きだと妙に愉快な気分になる。
「そういうことなら一つ。ただしまだ小さいのもいることだし、お前達は夏の間中まだまだこっちにいるんだから今晩は一つだけだぞ」
と断って、孫達に向かって座り直す。
これは儂の爺様のそのまた爺様がまだ子供の頃、江戸の終わりが近くなってきた頃の話だそうで、儂もお前達くらいの頃に爺様に聞かせてもらったもんだ。
村に若い男がおった。子供の頃から悪さばっかりしよるんでやんちゃ坊主の弥ン太郎と呼ばれておったが、幾つになっても落ち着かんで、村中から煙たがられるようになってしもうた。それで余計に荒れだして、「こんな田舎は性に合わん。俺はお江戸で一旗揚げるんじゃ」と言うて、ある日とうとう村を飛び出した。
やっぱり江戸でも行儀が悪くて居場所が無かったんじゃろう、一年もせずに村に戻ってきた。戻ってきたのはいいんじゃが、江戸で悪い連中と付き合ったのか刺青を入れておった。真面目に働くでもなく遊んで暮らす上に、それを見せびらかしては威張り散らすようになっておったものだから、ついに村の誰も弥ン太郎を相手にせんようになった。
その直ぐ後じゃ。惨たらしい姿になって川で死んでいる弥ン太郎が見つかって、
「それ以来この村では、誰も刺青を入れようとはしなくなったそうじゃ」。
孫の一人がどういうことかと問うので、
「それがこの話の怖いところでな……」
と頭を指差し、
「刺青の入った皿を見た人間が、これは実に珍しい、高く売れるに違いないというんで、弥ン太郎の皿を生きたまま引き剥がしたんじゃ。お前達も、その皿は白いまんま大事にするんじゃぞ」。
それを聞いて孫達は、ただでさえ胡瓜色の顔をますます青くしながら、うんうんと幾度も頷いた。
そんな夢を見た。
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