第五百六十二夜

 

じゃあまた明日と皆と別れて裏口を出ると、花の金曜日の夜の街はネオン・サインもほとんど無く、往年の活気を思えば随分と寂しいものだった。

酔いの回った頭に疫病への恨み言を浮かべながら徒歩一分、ぽっかりと口を開けた地下鉄の駅へ降りる入り口へ降り、やはり人気のない地下通路を歩いてプラットホームへ出ると、都合よく電車が滑り込んで来る。

窓越しに車内を見れば、最終電車まではまだ一時間ほどあるはずだが乗客は疎らである。

疫病禍の夜の街に、何故こうして酔っ払っていられるかと言えば、つい先程まで劇場の楽屋で飲んでいたのだ。本職が役者というわけではないのだが、学生時代から付き合いのある友人に頼まれてピエロに扮し、昔取った杵柄のパントマイムを披露した。無事に初日を終えると酒の飲めるところはもう店仕舞いの時刻で、皆で差し入れを持ち寄って軽く飲み、自宅が遠いからと適当なところで一人抜け出してきたところだ。

開いた扉を潜り、せめてもの贅沢だと七人掛けの座席の中央に尻を下ろす。我ながら酒臭い溜息を一つ吐き、大きな窓ガラスの向こうに見える駅の案内板を見るともなく眺めながら明日のタイム・スケジュールを反芻するうち、扉が閉まって電車が動き始める。

窓に切り取られたホームの景色が加速しながら後方へ流されて暗いトンネルに入ると、車内が窓ガラスに反射して見える。そこに真っ白な顔の男が写り、思わず背筋が跳ねる。
が、直ぐに自分の顔の写り込んだものと悟る。酒盛りを始める前に頼まれごとをされていて忙しく、化粧を落とし損ねたまま呑んでいたのだ。終電時刻が近づいて慌てて着替えて出てきたとき、化粧のことをすっかり失念していた。

窓に映るのは、アフロ・ヘアのカツラも、鼻に付ける赤いスポンジ・ボールも無い、ただ白い顔に水色の涙、大袈裟な唇を描いた顔にカジュアル・スーツ姿の三十路男で、不審なこと極まりない。

かといって手荷物に化粧落としを持ち歩いていもおらず、どうしようもない。ただ乗客の乗ってこないこと、駅からの帰途でも人とすれ違わぬことを祈るばかりだった。

そんな夢を見た。