第五百四十七夜

 

日課というほどのこともない単なる朝の習慣として、顔を洗い、軽く歯を磨くと、カーテンを開けて窓の外を眺める。

このアパートの二階の角部屋には学生の時分から随分長く住んでいるのだが、お隣の古い一軒家の片隅に聳える見事な桜の木がこちらの窓の前にまで枝を伸ばして、毎年この季節になると枝いっぱいに花を咲かせたものだ。

一階に住む大家もそれを好んで、花や落ち葉、或いは毛虫の付いてこちらの敷地に落ちるのも厭わず仲が良かった。ご主人に先立たれた者同士で通じるものもあったのだろう、買い物帰りの立ち話をする姿をよく見掛けた。

私も上京してきて直ぐ、窓から桜を眺めているのを見付かってからというもの彼女には可愛がってもらい、「暇なものでつい作りすぎるものだから」と煮物や梅干しなどのお裾分けを頂いたり、バイト先で貰ってくるお菓子や旅行先のお土産をお返しに尋ねていったものだった。

しかし今、窓外には桜の花どころか枝すら見えない。大家さんの話によると、昨日の昼のうち遂に引っこ抜かれ、トラックの荷台に載せられるようにとチェイン・ソウで切り分けられて運ばれていったのだそうだ。

昨年の熱波からの熱中症に倒れて、お隣のお婆様が亡くなったのだ。以降どのような経緯があったかは分からないが、一週間ほど前にとうとう解体が始まり、もはや跡形もなく更地になってしまった。

改めてお婆様の亡くなったのだと痛感して項垂れると、昨夜の春の嵐で何処かから吹き付けられてきたのだろう、庭もお隣の更地も桜の花弁で一面薄桃色に染められていた。

そんな夢を見た。