第四百六十二夜
客が少ないからと連絡してきた友人の飲み屋で夕食代わりの晩酌をしていると、隣で友人自慢の自家製チョリソをアテにちびちびとワインを舐めていた老紳士が話し掛けてきた。
彼も自営業をやっているらしいのだが、
「こんな不景気は震災以来だが、同じ災害でも質が全然違うもんでなぁ」
と対応の難しさを嘆く。
自分はその頃はまだ学生で、こちらにも住んでいなかった。そのことを伝えると、彼は意外にも、
「そりゃ、悪かった。地元の者なら懐かしい昔話でも、そうでなけりゃ不幸自慢になっちまう。聞いていて酒の旨くなる話じゃないわなぁ」
と頭を下げるのでこちらも慌て、咎めるようなつもりではなかったと詫びる。
彼は「いいんだいんだ」と胸の前で手を左右に振った後、
「そういえば、あの朝不思議なことがあってなぁ」
と遠い目で呟き、一杯奢るからその話だけ聞いてくれと、
「こちらに同じものを」
と友人に注文して語り始める。
いつものように早朝五時半、四畳半のアパートで目を覚まし、顔を洗ってトースターにパンを入れた。小さなフライパンにベーコンを敷いて卵を落とすして火を点ける。茹でて冷凍していたホウレン草を冷蔵庫から取り出し、フライパンに追加すると、窓辺の壁に沿うように置いたメタルラックから甲高い金属音が短く鳴った。
ラックに置いていた小物でも落ちるかずれるかしたのだろうか。普段聞き慣れない音が気になってコンロの火を止めて窓辺に向かうと、陽当りの好いようにラックの中段に飾っていた掌大のサボテンの鉢が足元に落ちている。
身を屈めて畳に散った土を指で鉢に戻していると、不意にバランスを崩してよろめいた気がした。が、それは勘違いであって、実は凄まじい地震だった。
わけも分からぬまま二階建てのボロアパートは見事に潰れたのだが、幸いラックが抜けて落ちてきた天井を支え、その隙間に潜り込む様にほぼ無傷であった。
「窓の近くだったから、ガラスこそ踏んだけれどそのまま外には出られてね。偶然なんだろうとは思うんだが、あのラックから受け皿に乗った鉢が、地震の前に落ちるとは思えないんだよねぇ」
と照れ笑いし、今は随分大きくなったというそのサボテンの写真をスマート・フォンの壁紙にしているのだと言って見せてくれた。
そんな夢を見た。
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