第三百八十四夜

 

九月になっても、大学生の夏休みは終わらない。疫病騒ぎでスケジュールは随分と変わったけれど、実験機材の不要な授業がオンラインに切り替わり、提出課題が増え、代わりに学生同士の接触の機会が減ったくらいだ。

そんなわけで暇を持て余したサークルのメンバーが自主的に集まり、三密を避けつつ何かして遊ぼうかという話になる。
車を出すから何処かの心霊スポットにでも行って残暑を涼みたいと誰かが提案し、ならば何処がいいかと話が弾む。

有名所は似たような考えの人間が多く、八合わせれば雰囲気も台無しな上に互いに気まずかろう。
「何処か程よくマイナなところ、知らない?」
と話を女子の一人へ振る。薬学部生でありながら、わざわざ国文学科の民話関係の講義を選択していて、宴会中に話題に詰まると、皆で彼女に怪談話をせがむのが常だった。

ところが、
「そういうところは、偶々足を踏み入れてしまったというなら兎も角、わざわざ向かう所じゃない」
と一蹴する。

どうしてだとかケチだとか文句を垂れる面々に、
「例えば、経済学部棟の裏の川岸に、岩場があるでしょう」
と彼女が切り出すと、皆は面白い話が聞けるものと急に黙って彼女の話に耳を傾ける。

湯灌という儀式がある。仏教とともに日本へ入ってきたそうだが、死者の身体を洗うか拭うかして清め、髭を剃ったり化粧をする習慣で、日本国内でも定着していた地域とそうでない地域とがあるらしい。

どちらにせよ、葬式に際して死体が清められていることは望ましいのだが、その後の水の処理が困る。なにしろケガレの文化の国だから、死穢を濯いだその水をそこら辺に捨てるわけにはいかない。多くの場合、集落の利用する河の下流から、専用の場所を選んで捨てることになる。裏の川岸の岩場が、明治頃までそうだったのだそうだ。
「それでケガレが溜まるから良くないことが起きるとか?」
と、迷信めいた考えを半ば嘲笑うような茶々が入り、しかし彼女は静かに首を振る。

そういう場所に選ばれるには、普段そこの水を汲む者が居ないことが条件になる。ただ不便だというのでは足りない、元々何かの差し障りがあるから人が近寄らない。いわゆる心霊スポットも、人の多いところは別として、人が少ないところは同じだと、彼女は言う。
「人が少ないから肝試しに使われるようになっただけで、元から人が近寄らない、現実的な危険があるのよ。君子危うきに近寄らず」
と、彼女は話を締め括った。

そんな夢を見た。

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