第三百四十一夜
短期の交換留学プログラムでホーム・ステイを受け入れてくれた家に初めて泊まった翌朝、緊張で眠りが浅かったからか、疲れの抜け切らない一方ですっきりと目が覚めた。
寝間着を着替え髪を梳かし、階下の洗面所へ向かうと、居間からおはようと陽気な声が掛けられ、頭を下げて挨拶を返す。彼はこの家のご主人で、子供が独立して奥様と二人暮らしの隠居生活の元気な老人だ。切手蒐集の趣味から日本に興味を持ち、今では大の日本贔屓だと昨晩の歓迎会で紹介されたのを思い出す。
歯を磨き顔を洗って居間へ戻ると奥様がキッチンで朝食を用意しているのが見え、手伝いを申し出る。
二人分のベーコン・エッグとサラダとパンとが出来上がり、食卓へ運んでくれと言われ、
一人分足りないでは無いかと驚く。それが顔に出ていたのか、奥様は、
「これらは私と貴方の分、パパのはこっち」
と言って、ショット・グラスと陶器のビール用タンブラ、三種類のブルストの乗った中皿と、それを小指大に切ったものの乗った小皿、缶ビールの乗った配膳盆を手に取る。
それらを食卓へ運ぶと、ご主人はショット・グラスにビールを注ぎ、小さなブルストを持った小皿とを持って暖炉の脇の小さな踏み台を上る。彼の手を伸ばす先にあったのは、左右に柑橘類の枝葉を備えられた、立派な神棚だ。
三方の上へ小皿を、その脇へビールを備え、二拝二拍手一拝し、備えたものをまた下ろす。
感心して眺める私に食卓へ付くよう促し、食事を前に三人で十字を切ってから、彼は手酌でビールを飲みながら、丁寧な英語で饒舌に語り始める。
我々にも、妖精のような存在を家の守り神にしようという文化はある。古い建物ならあちこちにガーゴイルが飾られているのを見つけられるだろう。悪魔が入ってこないように、見張りをさせているわけだ。
しかし、日本で神棚というものを見て、そういう存在を家の中に迎えて食事や酒まで「お供え」して饗すというのが気に入って、お土産に持ち帰ったのだ。相利共生というのはね、大事なことだよ。
饒舌に語る彼の横から奥様が、
「本当はね、朝からお酒を開ける口実にちょうどよかっただけなのよ」
と耳打ちする。
「日本では、神様に生臭はいけないと考えるんですが、ブルストをお供えしてもいいんですか?」
と拙い英語で尋ねると、
「ビールとブルストが嫌いなら、ドイツになんて住んでないだろう」
と、ご主人はほんのり赤らんだ頬を緩め肩を揺らして笑った。
そんな夢を見た。
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