第三百二夜

 

給食を終え、窓辺の席でうとうとと舟を漕ぎながら日光浴を楽しんでいると、
「ヤバい、ヤバい」
と連呼しながら幼馴染が駆け寄ってきた。

幼馴染といっても、家が同じマンション内の近くの部屋で、お互いがお互いの親にとって初子だという親近感、或いは心細さで行動をともにすることが多く、そのために幼い頃は他の子より多くの時間を共に過ごしたというだけのことだ。中学に上がってからは、異性と仲良くしていると思われるのは恥ずかしいから気安く話し掛けるなと宣告され、清々しい気分で過ごしていた。

折角の惰眠を邪魔されて大いに機嫌を損ね、
「話し掛けるなと言ったのはアンタでしょ」
と汚い言葉がつい口を突いて出る。
が、彼はこちらの言葉には反応せず、
「いいからちょっと来い」
と宣言して私の右手を掴んで引っ張り、教室の外へ引っ張り出し、そのまま廊下を歩いて彼の教室まで私を連行する。話をするのは宜しくないが、手を握るのは平気らしい。全く理解に苦しむが、私とはかなり異なる価値観の持ち主であることは、それこそ幼児の頃から知っていることだった。
わけも分からぬまま廊下際の彼の席に連れて行かれた私に、
「この机、どう思う?」
と、更にわけの分からぬ質問をする。彼は昔からこういう口の利き方をする。用件を伝えるためには不要な遣り取りを挟んで、周囲の人間の貴重な時間を浪費させる悪い癖だ。

私は学校の備品の机の専門家ではない。そう告げると、彼は、
「よく見ろ」
と居丈高に机の上面を指でコツコツと叩く。私が上体を倒し、目を細めてそこを見ると、
「細いけど何か彫って有るのがわかるだろう」
と、彼の声が降ってくる。
「ああ、正の字かしら?」
と返しながら、始めから「正の字が彫ってある」と言えば良かろうにと、彼の悪癖に心中で悪態を吐く。

目で見てもよくわからないほど細かな傷で、コンパスか何か細く尖ったもので付けたもののようだ。机の面に軽く爪を立ててなぞると、その引っ掛かりが殆ど全面を覆い尽くしているのがわかる。

学校の備品になんてことをするのか。そしてこんなにびっしりと正の字を彫るなんてどれだけ暇なのか。そういう思いを一言にまとめ、
「馬鹿じゃないの、アンタ」
と評すると、
「俺がやったわけじゃない」
と口を尖らせてから、その声が周囲の耳目を引いたことに気付いて私を再び廊下へ連れ出す。

そこで彼の語るに曰く、あれは「マサシの机」といって、この学校の七不思議の一つだそうだ。なんでも今から三十年ほど前、酷い虐めを受けていた生徒がいたという。虐めを受ける度に一画ずつ正の字を彫り、それで机が埋め尽くされた日の放課後、その子は教室で首を吊ったのだという。

もちろん正の字に気付いた教師がいて、その机を紙ヤスリで表面を薄く削って文字を消し、すっかり滑らかにした。ところが不思議なことに、毎年、彼の命日が近付くと必ず正の字の彫られた机が見つかる。

この学校には三年生の卒業前に、「恩返しの大掃除」と称して普段使わない倉庫などの清掃をさせるイベントが有り、その際に落書きの酷い机を生徒に消させるのだが、毎年毎年、正の字の彫られた机に紙ヤスリが掛けられる。毎年ヤスリを掛けるのに、毎年正の字の彫られた机が出る。それが、自殺した生徒の名前で呼ぶのも憚られて、「正の字の机」から「マサシの机」と呼ばれるようになった。
「で、この机に座ってる奴はいじめられるようになるんだってよ」
と、顔に似合わず情けない声を上げる彼に、
「あら、虐められてるの?」
と問うと、否定の言葉が返ってくる。ならば問題なかろうと言って踵を返すと、
「気持ち悪いから、お前の机と替えてくれよ」
「は?なにそれ。っていうか、信じてるの?怖いの?」
「お前は信じないの?ならいいじゃん。替えてよ」
「嫌よ。プリントに字を書くときに引っかかりそうだもの」。
成長期の乙女にとって貴重な昼寝の時間を台無しにされた憤りを胸に、私は女子トイレへと向かうことで幼馴染の追撃を振り切ることに成功した。

そんな夢を見た。

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