第二百八十三夜
行きつけのスポーツ・バーのカウンタで、
「へぇ、気のせいだと思うけどねぇ」
と愛想笑いを浮かべて、それが苦笑いにならぬうちにグラスのジン・ライムに口を付ける。隣に座る友人が、リサクル・ショップの手伝いで気味の悪い冷蔵庫を運んだという話を聞いての感想だ。生まれてこの方、そういう類の経験は金縛りにさえ遭ったことがないので、髪の毛ほども信じていない。
尚も「本当に気味が悪かった」と繰り返す友人を横目で見ながら、生ハムの盛り合わせをカウンタ越しにマスターから受け取る。そのついでに、
「マスターは今の話、信じます?」
と尋ねてみる。彼は真剣な目で削った生ハムにオリーブオイルを塗り、
「どうだろうねぇ」
と言った後、それを冷蔵庫へ片付けると、
「ひょっとしたら、そういうこともあるかもしれませんよ」
とエプロンの前で腕を組む。その言葉を聞いて友人がにわかに元気を取り戻し、私を頭が硬いの何のと揶揄し始める。マスターはそれをやんわりと遮るように、
「こういう客商売を長くやっていると、効果があるかどうかは別としてジンクスみたいなものは気になるし、色んな話も聞きますからね」
と前置きし、
「死神の冷蔵庫って話がありましてね」
と、乾燥機から取り出したグラスを磨きながら語り始める。
飲食店をやっていると、冷蔵庫やら製氷機やらコンロやら、業務用の強力なものがどうしても必要になる。日本のものは作りがしっかりしていて頑丈だが、それでも年中無休で動かしているから、壊れることもある。大手のチェーン店ならともかく、小さなところでは故障の買い替えにしろ、新規開店にしろ、新品で買うとなると負担は大きい。
反対に、経営が軌道に乗るかどうかは長くて一年、早くて半年で見切りを付けるのが普通で、撤退するとなれば機材だけでも金に換えたい。
そういうわけで、飲食店向けの機材専門の中古業者というのがあって、マスター顔なじみの店があるのだという。
「大きな地震があって冷蔵庫が駄目になったときにその店、といっても大きな倉庫みたいなものなんだけど、新品同然の綺麗な冷蔵庫が格安だったんだ……」
と言ったところでグラスを置き、次のグラスを手に取ると、私と友人へ意味有りげな視線を送る。
マスターがその冷蔵庫を所望すると、社長は止めておけという。理由を尋ねると、値段には理由がると言う。ならその理由はと食い下がると、
「死神の冷蔵庫だから」
と言われたという。
「何でも、最初は高級料亭に買われたが、その二ヶ月後に板長さんが急死して社長のところに売られてきて、それから四件立て続けに、売れては直ぐに社長のところに戻ってくる。全てに死者が出ているかどうかまではわからないけれど、買って行ったところはみんな二ヶ月以内に店を畳む羽目になっているって言われてね」。
マスターは磨いたグラスを天井の証明に照らしながら、
「流石に気味が悪くってね、まんまと高い方を買わされたってわけ」
と、茶目っ気のある笑顔を見せた。
そんな夢を見た。
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