第十八夜

地下鉄を降りて早足で改札を抜ける。買い物に来ただけで急いでいるのでもないのだが、早歩きが癖になっているのだ。

階段を登ろうとすると、別方向から来た若い女性の後になった。三段ほど間を空けて続くと、女性の尻が目の高さに来る。と、金色のパンプスの上、白いチノパンの尻に赤と黄の派手なシールが貼ってある。近視の目を凝らして見ると、スーパーの時間限定割引などで目にする「表示価格より百円引き」と、百の数字だけが手書きのシールだ。

誰かに悪戯で貼られたものか、それとも電車の座席や扉付近の手摺にでも貼られていたものが、寄り掛かった拍子に彼女のズボンの尻に貼り付いたのか。

しばし考えながら階段を登りきったところで、お洒落なお嬢さんが尻にこのような物を付けて歩くのは可哀想だと判断し、肩を叩いて声を掛けると、女性は目を丸くしながらこちらを振り向く。
「ズボンに、何か変なシールが貼ってありますが、お気付きですか」

そう尋ねる私に、彼女は、しどろもどろになりながら、大丈夫です、大丈夫ですと繰り返し、足を早めた。
「はぁ、だいじょうぶなら、まぁ……」
と曖昧な返事を返しながら、彼女が私から距離を取りたがっている様子に気が付いて足を止め、急ぎ足で遠ざかってゆく尻のシールを、尻の持ち主が角を曲がるまで見送った。

一体何が大丈夫なのだろうか。ひょっとすると、私の知らぬところで尻に値引きシールを貼るのが流行しているのだとすれば、失礼なことをしたものだ。或いは、まだ若い女性であったから、大学か何かの友人と賭けに負けでもして、罰ゲームの最中であったのかもしれない。

さて、自分の買い物に行かねばならぬと思い直し、踵を返したところで思い至った。きっとナンパか、それとも悪質な勧誘かと思われたのに違いない。それで拒否の意味を込めて、「大丈夫」を繰り返したのだろう。つまり彼女は私の話など聞いていなかった公算が高い。

思い返してみれば、確かにこの街はその手の声掛けが盛んと聞くから、若い女性ならば警戒心も強くて当然だし、それは大いに結構なことである。ただ、人の言葉をよく聞かぬのは褒められたことではない。また、伝えるべきことを伝えられるよう、口にする言葉も態度も、十分に注意し、相手の心情を慮らねばならない。

自戒の意味を込めて、もう一度、値引きシールの貼られた尻が消えた公園の角を振り返る。何の害があるわけではないけれど、今頃あのシールは大通りの人混みを歩いているのだろう。

そんな夢を見た。