第百五十一夜
残業をしていると、携帯電話に友人から、
「家に帰りたくない」
と連絡が入った。三ヶ月ほど前に挙式したばかりの男の台詞ではない。
「自分にそういう趣味はない」
と返すと、話だけでも聞いてくれと食い下がる。仕方なく会ってやることにすると今度は、できれば自宅へ来いという。帰りたくないんじゃなかったのかと尋ねると、来ればその理由がわかるからと、詳しい事情は説明しないままどうしても来いと頑張るので、結局こちらが折れ、最寄り駅で落ち合って彼の家へ向かう。
道中碌に口も利かずに彼のマンションに着くと、新妻が笑顔で迎えてくれる。
「急だったから、簡単なおつまみを作っていますけど、期待しないで下さいね」
と居間まで案内すると、慌ただしく台所へ戻る。カウンタ越しにきびきびと動く姿く細腕が小気味好い。
「急な客に不機嫌な顔もせず、良い奥さんじゃないか」
と水を向けると、
「一つだけ、どうしても気になることがあって……」
と、浮かぬ顔で言う。
と、背にした壁の向こうからもぞもぞと生き物の動くような気配がする。振動でも物音でもない、それら未満のもの。気配としか言いようがないが、自然に生き物のいることが察せられる。
「お前、できちゃった婚じゃなかったよな。犬か猫でも飼ってるんだっけ?」
と尋ねると、彼は顔を真っ青にして、
「やっぱり、わかるよな」
と囁く。
背中の壁の向こうは寝室で、犬も猫も赤ん坊もいない。ただ、なんでも彼女が人形好きで、実家にある十体ほどのなかから選ばれた一体のビスク・ドールが飾られているそうだ。
「それがな、どうにも気色悪い。生きているような気配がしてな。一晩中見張られているようで、碌に眠れないんだ」。
それでも彼女を愛していないわけでも無い、新婚ほやほやで寝室を別けようとも言い出し難い、趣味の人形を一体だけならと我慢させているのだから実家に戻せとも言えないで困っている。
そう説明したところで背後から、どん、と鈍い音がして、居間の空気を重く振動させた。
そんな夢を見た。
No responses yet