第百十三夜

 

荷物を網棚に載せ、吊革を両手で握って目を閉じている。石油ストーブを焚くとすぐに頭痛のする質で、満員電車の酸素が薄いのか二酸化炭素が濃いのか知らないが、やや気分が悪くなっていたからだ。

少々手の痛くなって吊革を握り直したとき、列車の走行音に混じって少女の声が耳に入った。
「あ、それ新しい御守?」
「うん、塾の先生がくれたの。まあ、月謝に込みなんだろうけど……」
「いや、私のところじゃそんなのくれないよ。いい先生じゃん」
どうやら二人の女性徒の会話のようだ。薄目を開けて声のする方を窺うが、人の陰になってその姿は見えず、再び目を閉じる。
「それがね……あんまり喜べないっていうか……」
「え?何で?」
「これ、湯島天神の御守でしょう?」
「うん、都内で学業成就っていったらここってくらい有名よね。大元?は太宰府?」
「太宰府天満宮、ね」
そう聞いて、朱色の御守が女生徒の鞄に結ばれ揺れている映像が思い浮かぶ。中学か高校か、そんな光景に見覚えがある気がする。
「で、何が不満なのさ」
「いや、不満っていうよりは不安なんだけど、一応私の苗字に『藤』って付くでしょ?」
「ふむ」
「調べてみたら、藤原氏に縁のある苗字らしいのね。家系図とかもよく知らないし、そんな立派な血筋じゃないとは思うんだけど、万が一ってこともあるし……」
「え?それがどうしたの?」
「だから、恨みのある相手の一族だったら、却って罰が当たるというか、怨念が降りかかるというか……」
確かに、氏神や血筋によっては相性の悪いところへは参詣しない習慣が、あるところにはあると聞く。有名なのは神田明神と成田山だったか。
「なんだ、そんなの大丈夫大丈夫。万一血筋だったとしても、怨念?怨霊?に負けなかったから子孫を残してあんたがいるんでしょう?天神様だって神様になってからは忙しくって、一々呪ってられないんだよ、きっと」
よくわからぬ理屈だが、相手の少女は、
「おお、なるほど!」
と納得の声を高らかに上げる。

御守が彼女の学業に御利益をもたらすかどうかはわからぬが、私の気分にはいささかのご利益があったようで、いつの間にやら頭の重さが楽になっていた。

そんな夢を見た。

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