第百三夜

 

後ろ手に施錠しながらハイ・ヒールを脱ぎ、灯もつけぬままベッドに突っ伏す。

スーツを脱がねば皺になる。化粧を落とさねば肌が荒れる。コンタクト・レンズを外さねば目が傷む。それら全てがあまりにも億劫で、そのまま枕に顔を埋めて目を閉じる。どうせ、出勤までは三時間もない。

ハイ・ヒールを脱ぐことが出来たのは奇跡だろう。それで全ての気力を使い果た。どのように身体を動かせば良いのか、その仕方を忘れてしまったかのようだ。

閉じた瞼の内から熱いものが溢れて鼻の脇へ流れる。幸い、声の押し殺し方は覚えていたようで――いや、声の出し方を忘れているのかもしれないが――薄い壁の向こうの住人に迷惑を掛けずに済みそうだ。

細身の上着。

タイト・ミニのスカート。

ハイ・ヒール。

腕時計。

コンタクト・レンズ。

胸の切れ込んだ七分丈のブラウス。

ガードルを兼ねたパンティ・ストッキング。

ブラジャ。

パンティ。

化粧。

付け睫毛。

マネキュアとペディキュア。

セミロングの髪。

胸と尻との脂肪。

体の表面に纏う全てのものが、身体の表面にある全てのものが、その中身を締め付けて制限し、拘束する。

眼球を覆う上下の瞼の隙間からは、まだ熱い液体が漏れ出し続けている。

他人はその拘束具にしか価値を認めない。他人からはそれしか見えないのだから当然だ。

拘束具の塊がベッドに突っ伏しているのだ。

私以外にとっての私とは、私の表面で私を縛り付け締め付ける拘束具なのだ。

勤め始めて一年弱、それがよくわかった。

きっと限界が来てるのだろう。もう、中身は私の中に留まる力を失ったのに違いない。液体になって束縛から逃れようとしているのだ。
中身の気力が回復するのを少しだけ待とう。

そうしたら、拘束具を壊してやろう。大した高さではないが、受け身を取らなければいい。

そうしてベッドに突っ伏していると、小鳥の声が甲高くも柔らかく響いた。

ピ、ピチュチュピ、ピビィ。
聞き覚えのある鳴き方だ。
ピ、ピチュチュピ、ピビィ。
二度目を聞いて思い出した。ホオジロである。以前田舎の祖父に「一筆啓上仕候」
と鳴いているのだと聞かされたのを、とてもそのようには聞こえないと言って笑ったことが思い出される。

一筆啓上仕候。

一筆啓上仕候。

こんな都会で聞こえるはずもないホオジロの囀りは、しかしはっきりと、繰り返し聞こえてきて、止む気配がない。
ああ、そうだ。その手があった。

重い身体をどうにか動かしペンを持つと、それは以外にも軽々と走り、ひとりでに世へ理不尽を訴える恨み言を書き連ね始める。インターネットを通じて、これが世に広がるのが容易な時代になったのだ。主君へ物を申すのに、腹を切る覚悟のいる時代ではなくなったのだ。

そんな夢を見た。