第九十三夜

 
めっきり冬めいて水気の多い地面がすっかり冷えきっているためか、店の空気はなかなか暖まらない。

ココアでも飲もうと、カウンター裏の小さな台所で牛乳を鍋に入れて火にかける。

ココア・パウダーの包装の裏を見て分量を確認していると、チリンと澄んだ音がして入り口の戸が開く。ガラス製のドア・チャイム
を鳴らして店へ入ってきたのは、三十路手前くらいの、派手なニット帽を被った若い男だった。

「いらっしゃいませ」と言う私には目もくれず、ニワトコやトネリコの鉢植えから小物を収めたショー・ケース、人形や編み物の類の並んだ棚と、一通りをまじまじと見て回ったところで彼はようやくこちらに気付く。

「あの、店員さん?」
と声を掛けられ、仕方なくコンロの火を止めて接客のためにカウンターを出る。
「何かお探しでしょうか」
「えっと、毛生え薬とかって無いんですか?」
――なるほど、帽子は若ハゲ隠しか。
「あー。ああいうの、時代遅れになっちゃったんで、うちでは扱ってないんですよ。お医者さんで処方箋を貰えるようになっちゃったでしょ?その辺りはウチで扱うと薬事法とかに引っかかっちゃうし……」
「いや、魔法グッズ屋でしょ?もっと即効性のある薬とか無いんですか?」
と食い下がる彼に、
「あるにはあるんですけどね、普通の方には割りと気味が悪い材料を使ってますし、値段も普通のお薬の百倍くらいするしで、ほとんど売れないもので……」
と説明する。それでも、注文をすれば作ってくれるのかと言うので、その場合の値段を告げると、流石に彼も手が出ないものと悟って肩を落とす。

それでも久し振りの客である。何か売れないかと、
「好きな女性がいらっしゃるとか……?」
と探りを入れてみる。
「ええ、まあ。ハゲってほどじゃないんですけど、ちょっと薄くというか細……」
見当違いな返答である。こちとら客のハゲ具合に興味など無い。彼の言葉を遮って、
「でしたら、こちらの惚れ薬なんていかがでしょう。需要が多い分、生産量も多いので割とお手頃な値段で……」
と、茶色い薬品瓶の並ぶ棚の惚れ薬コーナーを手で示す。が、彼は妙に興奮して、
「それじゃ駄目なんです!」
という。曰く、そんなもので手に入れた愛は本当の愛ではない、自分も髪さえ若い頃の状態に戻ればそこそこの容姿だから、後は努力で何とかしてみせる自信はあるのだと。

毛生え薬で手に入れた髪は本当の髪なのだろうかと思いつつ、適当に相槌を打っておく。性別によらず、ウチを尋ねてくる客にはこの手の不合理な境界線を設定して、自分の弱さを取り繕おうとする傾向が見られる。地道な努力を嫌い魔法に頼りつつ、不都合な現実や努力を怠る自分からは目を背けようとする、人間のサガというものなのだろう。

長々と自分がいかにその女性に相応しいかを語る彼に愛想笑を向けるのも辛くなってきた。何よりココアがお預けで、手足の先はおろか二の腕や腿まで冷えてきた。
「……残念ですけど、今ウチで扱っててお手頃な値段の物となると、毛の生える人形くらいなもので……」
と、彼を追い返すつもりで話を遮ると、
「本当ですか!?どれです!?」
と目の色を変えて人形の並ぶ棚へ向き直る。商品説明の書かれたカードから目的のものを見つけると、尻のポケットから財布を取り出し、値札に書かれた代金分の札をこちらへ寄越す。

お買上げですかと問うと勿論だというので、くたびれた小さな陶器の人形を手にカウンターに入り、丁寧に梱包したそれと領収書とを渡すと、青年は大喜びで店を出て行った。

あの陶器のツルリとした頭部に毛が生え始めたとき、彼は何を思うのだろうか。

レジスターに預かったお金を収め、手を洗って冷めた牛乳を温め直す。

まあこの店に来る客は大体こんなものである。思い込みが激しく、人の話を自分の都合の良いように曲解する。それでことが思うように運ばないのは当然なのだが、自分ではその原因を正しく把握できない。だから魔術に頼ろうとするのだ。

そんな夢を見た。

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