第七十一夜

 

トイレに入ると個室の扉が三つ並んでいる。人はいない。が、奥から人の話し声が聞こえる。手前の個室の鍵を確認すると青い表示が見えるので中に入る。中央と奥とでおしゃべりをしているのだろう。

便座に腰を下ろすと、静まり返ったトイレに遠慮がちな声が響き、盗み聞きをするつもりは無いのだが二人の会話がどうしても耳に入る。
「それにしても、花子さんちゃんはいいよねぇ……」
と、中央の個室から可愛らしい声が嘆息を漏らすのに続いて、
「え?私はメリーさんちゃんが羨ましいけれど。どうして?」
と奥の個室から低い声が問い返す。

「だって、もう日本中の公衆電話が激減しちゃって。最寄り駅の公衆電話からタバコ屋さん、酒屋さんって、段々とターゲットに近づいて、最後には公衆電話のない場所から電話を掛けるってパターンが使える街がどんどん減っているんだもの。それに、そんなこと今じゃ携帯電話で人間にだって簡単にできちゃうし」
「ああ、そうね。家に固定電話の回線を引いていない若い夫婦も増えてるみたいだし」
「うん。それに、子供への連絡は携帯電話にするから、留守番中には家の電話には出なくていいって教える親も多いみたいで、条件の合う子の家に電話をしても居留守を使われるのがほとんど」
「そっか、大変なんだね……」
「うん。あーあ、私もトイレみたいに人間の生活に不可欠な場所に生まれてれば好かったのに」
「いやいや、私はメリーさんちゃんが羨ましいよ」
「え?なんで?」
「だって、ずーっとトイレだよ?たまに窓の開いてるトイレに呼ばれたときに外の景色が見えることもあるけど、それだけ。トイレからは出られないし、どんなトイレだろうと呼ばれたら呼び出し拒否はできないから呼ばれた先のトイレがどんな状態でも行かなきゃいけないの」
「そっか、電車に乗って好きなところに行けるし、ターゲットは自分で好みの子に決められるから、私は自由ではあるよね」
「観光だって、し放題でしょ?海とか山とかお城とか……。私が見たことあるのは精々学校の校庭くらいだもの」
「じゃあ、今度あちこちでお土産買ってきてあげるね。何がいい?」
「いいの?私からお返しできる物なんて何にもないよ?」
「いいのいいの。先輩には今日だって愚痴を聞いてもらってるんだから」
「じゃあ、ご当地ゆるキャラのキィ・ホルダーが欲しい」
「了解」
「ところで、このまえ話してた後輩のさとるくん君は元気?」
「あぁ、あの子も私と一緒で、最近は元気がないかなぁ。もともとが公衆電話と携帯電話の両方が無いと成り立たない性質の子でしょ?その上、十円玉が使える公衆電話限定ってかなり厳しいから、正直この先あんまり長くなさそうなんだよね」
「そっか……可哀想だけど仕方ないよね。唐傘お化けさんみたいに、博物館で隠居生活くらいはできるといいんだけど」
「そこへ行くと朧車さんは流石よね、峠の幽霊自動車とか、最終便の後に走るバスや電車に上手く乗り換えたんだもの」
「交通手段は人間には欠かせないものね。この先どんなに便利になっても、旅行だけは娯楽として残るだろうし……」
「そう、それよ。やっぱり私も花子さんちゃんみたいに……」。

そんな夢を見た。

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