第百六十七夜

 

行楽シーズを山で過ごそうという下心で応募してみたものの、山小屋のランチタイムは忙しい。漸く客が引けた午後三時、休憩に入る前に外のゴミ箱を片付けるのだと教えられ、店長と共に店の外へ出る。

籠から溢れんばかりの山盛りになったゴミを持参した袋へ移して口を縛り、店の裏手へ運ぶのだという。

ゴミ袋とゴム手袋を渡されて、一掴みずつ袋へ詰める彼を真似て仕事に取り掛かると、
「折れてささくれた割り箸もあるから、気をつけて」
と念を押される。

箸なんて、折ろうとせずにはそうそう折れるものでもなかろう。そんなに危険なことをする者がいるのか、片付ける者が危ないと分からないのかと憤ると、
「いや案外、山のことをよく知っている人のすることかもね」
と笑うので、彼の方は特に気にしていないらしい。訝しむ私の顔を見て察したのか、手を休めぬまま説明を始める。

なんでも、山で枯れ枝などを箸に使って捨てるときは、真ん中から二つに折るのが習わしという地域があるという。何の意味があるのかと尋ねると、
「山の化物だとか、山姥だとか、ああいったモノから身を守るための、オマジナイみたいなものだそうだ」
という。

もとはそこらの木の枝とはいえ多少の加工をし、人の食べ物を口へ運んだ箸というのは山の中では異質なものだ。だからそれが捨ててあるということは、人が食事をした紛れもない証拠である。それを見つけた物の怪は久々のご馳走を喰らおうと、箸についた匂いを追って来る。
「面白い話だとは思いますが、それがどうして、箸を折るってことになるんです?折っても人の匂いが消えるわけでないでしょうに」。

そう問いながらうっかり休めた私の手を、彼はやんわりと咎めてから、
「箸らしく見えなくなるのも一因かとは思うけどね、面白い説があってね。真ん中で折った箸を組み合わせると、漢字の『口』の字になるだろう?それを見た化物が、『こんなに大きな口の持ち主ではとても敵わない』と、怖じ気付くのだと言うんだ。彼らは漢字が読めるのに、漢字と事実の区別が付かないというのか、言霊を文字に置き換えたような、文字の持つ力への信仰みたいなものがあったんだろうね」
と笑いながら、ぱんぱんに膨らんだゴミ袋の口を縛った。

そんな夢を見た。

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